「ブラタモリ」
熊本の大地震はショックでした。
まずは友人たちが何人も住んでいるということがあり、その動向がとても気になっていました。最初の14日地震の後に数名の安否は確認できましたのでひと安心しましたが、16日深夜の大地震の後は・・・。
姪が数年前に熊本へ赴任していました。熊本城見物がてら何度か会いに行ったので、とても気になっていました。やっと今日連絡が取れましたが・・・驚いたことに、この4月に異動になり京都に住んでいるとのこと。ギリギリでセーフだったようです。その生命は大切にね!
私は4月28日から恒例のGWの帰省で宮崎へ行く予定にしているのですが、5月1日は家族揃って南阿蘇の温泉旅館「清風荘」でのんびりするつもりでした。もちろん予約済み。ところが、いざ16日未明のあの大地震が発生した後、テレビのニュースを観ていたら「清風荘」へ続く道路や橋が崩落し、孤立状態に陥っていると。その後自衛隊のヘリが救助に来ていました・・・。ということで、私達家族は熊本へ向かうことができなくなりましたが・・・。もし、私達が清風荘へ宿泊した夜にこの大地震が起きていたら、私たちは乗ってきた車を放置し、着の身着のままで全員があのヘリで救助されていたのだと想うとゾッとします。
旅先を鹿児島方面に切り替えるか?との提案もありましたが、それも気が進まないので、とりあえず実家近辺でのんびり過ごすことにしましたよ。すでに本日になって4月28日の夜はいつもの旧友達がすでに一席設けていると連絡がありましたがね。しかし、宮崎だってこのところ余震が続いていますからね。
それから川内原発の件も、あれこれ言っている方々がいますね。でも、安全性がどうのこうのというよりも基本的なことを考えると「避難計画に組み込まれている新幹線と高速道路」が崩壊して不通になっているのだから避難はできないので「現時点で避難計画が破綻している」と考えれば当然の事ながら、川内原発は止めなくてはならないという結論にしかならないんだがね・・・。
さて、話を熊本に戻すと・・・。ここ数年はGWに熊本へ遊びに行っていました。もちろん熊本城も丹念に見て回っていました。その記憶がしっかり残っているので、今回の地震で崩壊した櫓や本丸の石垣の様子はかなり衝撃を受けました。再建にどれだけの日数とコストが必要なのか?ううむ・・・。
先日「ブラタモリ」で熊本をたっぷり紹介し、熊本城建造のいきさつ等をあれこれ丁寧に説明していました。あれらの画像が貴重な熊本城の資料として残ったのですね。
そして大分も酷いことに。私の故郷はどうなのだろう?宮崎には活断層は余り無さそうですが、日向灘に面しているので、日向灘沖の活断層が動いたらすぐに津波が起こり、ひたすら平べったい宮崎平野はあっという間に水没するんだろうな・・・。あああ・・・なんだか想像するのが苦痛になってきたよ・・・。
本日の結論
いろいろ書こうと思ったけど、書き続けられない!
「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。
GO TO HOME PAGE