徹夜的原稿読

2017年02月10日 読み続けるってことは!


このマスク状態が1月3日から続いています!そろそろ飽きた!



「貴方にも突き刺さるはず」

風邪をこじらせてからの気管支炎で、1月3日からずっとマスクが手放せません!医者にも行き、強力な咳止めをもらって、 2回ほどもう治まったかな?と思える日が有ったのですが、すぐにまた咳が出始めてなかなか治りません。困ったもんです。やっと今日は落ち着きを取り戻していますが。

昨日は久々にオーダーが無くのんびりとしていました。午後になり、修理依頼が有ったのをサクッと片付けて返送も済ませましたので、さてこれから何をしようかと考えているところでしたが・・・。

そんな時に、タイミングよくボランティア依頼がありました。これは楽しみでもあるので、全く問題ないのですが。私の知人の小説家は「マーケティング手法」を使って本を完成させます。どういうことかというと、数人の親しくて各ジャンルの信頼できる友人たちに、完成間際の小説原稿を渡して読んでもらい、それぞれの視点から矛盾点や構造上の気になるところを指摘してもらい修正を加えるというものです。いわゆる「校閲」に似ていますが、校閲の専門知識があるわけではない私に依頼されるのは、私の持っている視点やマニアックな知識でチェックしてほしいとの依頼なのです。

自分一人で長い文章を書いてみるとよく解りますが、自分だけでは「問題点が発見できない」状態になります。誤字脱字でさえです。そこで、本来は編集者や校閲といった方々が必要になります。しかし、そのような専門職ではなく、一般読者の目線で生原稿に意見を述べるというのは、面白くもありますね。いままでにも何度もやって来ました。

小説家の出版前の原稿を読めるというのは貴重な体験ですし、とても面白いものです。もともと小説は小説家が書いたものがそのまま本になることはなく、編集者によって構成を変えられたり、あるチャプターはバッサリ削られたりと出版までに大きく手が加わることもあります。そして私のような一般読者の意見が反映されることもあり、最終形がどう着地するのか楽しみなのですよ。

通常は初稿が全ページ揃ってから届けられるのですが・・・。今回は少し様子が違っていました。まだ原稿が全部揃っていない状態。推敲もされていない本当の生原稿の一部でした。それをなぜ私に託されたのか?問題は作家に許された時間でした。あるゴールに向かって書き進めていたのですが、作家の体調の問題で一時ストップしていたのです。しかし、その一度決めたゴールはなんとしても守りたい期限でした。そのゴールの理由を知り私も納得しました。

そして、極端に言えばもう一つ。一時期は「本が書き上がるのが早いか、作家が亡くなるのが早いか」という切羽詰まった事情も同時にありました。このあたりは今まだ発表できないのでぼかしてスルーするしか無いのですがね。

昨夕になり、その生原稿がメール添付で送られてきました。すぐに iPad に表示して読み始めました。19時頃からスタートです。とても長い長い原稿でした。全く編集されていない状態なので、チャプターごとの時間軸が重なり合って多少読みづらくもありましたが、やがて私は没頭し始めました。深夜12時になり、そのままコタツで読み続けることは難しいと思い、いったんベッドへ移動。さらに読み続けました。気がつけば窓の外が明るくなり始め、やがて翌朝8時が過ぎていました。ようやく読了。その間に何度も涙しました。その理由もまだ書けませんが、ドキュメンタリー作品なので、ある歴史的事実の裏側を知ることで「あれはそういうことだったのか!」と納得しました。

その事実は作家から以前聞いて概要は知っていたのですが、ここまで微に入り細に入り知ることになるとは・・・。今もまだ、その事件についての世間の常識は事実と大きく異なっています。それは何故なのか?この「何故?」という部分がこの本の大きなテーマです。「常識的推測」と「個人的感覚」の差がこの悲劇を生んだのでしょうね。

すべてが氷解するのは本編の中ではありません。「あとがき」が重要な意味を持っています。今までにもこの作家の「あとがき」が大きなパワーを持って私に襲い掛かってきました。今回は一番緻密なそして納得行く「長いあとがき」でした。ある人物の復権のためにこのドキュメンタリー小説は書かれています。何故この本を書かなければならなかったのか?その思いが「長いあとがき」でいずれ貴方にも突き刺さるはずです。


本日の結論
順調に行けば6月中に発売されるでしょう。

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